セカンドオピニオンという言葉が浸透した今、その受け入れ体制はどの病院も万全です。
診察・診療ではなく、単なる相談なので保険適用外。
だいたいどこも2〜3万円。
問題は「どこに」聞きにいくか、です。

 

国立がんセンター

5〜6年前、父の肺がん闘病中に訪ねたのは国立がんセンターでした。
両親に付き添って私も話を聞きました。
ここで病状を伝えると、その見立てに間違いがないこと、
また抗がん剤等三大治療以外には国立がんセンターでできることはないということを聞かされました。
私はてっきり、免疫療法など代替治療に関する情報を教えてくれるものだとばかり思っていたので、拍子抜けしました。
免疫療法について尋ねると、「あー、そういうのもいいと思いますよ。紹介はできませんので、ご自身でお調べになっては」と、何とも無慈悲なお答えでした。
あとからがんに関する書籍を読んで知りました。
がんに対する見解は「学会のガイドラインで定められている」、つまりその学会の傘下である病院のどこに聞きに行っても同じ答えが返ってくる、ということです。
地方の県病であれば、間違いなくこのガイドラインにそった診療をしていたはず。
そしてその療法は、当然国立がんセンターから見てもまったく問題ないものであり、新たな見解が聞けるはずもなかったのです。
この経験を踏まえて、母のセカンドオピニオンは、このガイドライン外の意見を持っている医師のところにしようと思いました。


「医者に殺されない47の心得」で菊池寛賞を受賞した、近藤誠先生。
近藤誠セカンドオピニオン外来
6月初旬、ここに妹と二人で話を聞きに行きました。

 

近藤誠セカンドオピニオン外来

近藤誠セカンドオピニオン外来は、マンションの一室の小さな相談室でした。
ここに今や国内、いや世界からセカンドオピニオンを求めて患者や家族が訪れているとのこと。

母の内視鏡画像や医師の所見などに目を通した近藤先生。
「これは本物のがんです。
よい時間を過ごしてくださいとしか言えない」

相談開始してものの数分で、出された答え。

もしかすると、がんではないかもしれない。
がんだとしても、治る方法があるかもしれない。

一抹の希望が吹き飛んだ瞬間でした。

 

入院・手術した病院での対応について尋ねると、

「適切な処置を行っていると思います。
ただ、高齢でお腹を切るのはやはり危険でした。
それをきっかけにがんが一気に全身に広がったと言えます。
でもその手術をしなければどうなっていたか?
本当に食べられなくなり、体力が落ちて衰弱死となります。
残りの時間は決まっていた。
その中でなんとか食べられるようにしようと試みた手術だから、一概にそれを批判はできません」

ショックな回答でしたが、この見解を聞いて九州の病院を責める気持ちはなくなりました。

 

この次の日、私は実家に帰りますが、
セカンドオピニオンの見解をどう母に話そうかと悩みました。
読書好きの母は近藤氏のことを良く知っており、そこに相談に行くことを喜んでいたからです。

 

実家でしばらくその話題にふれないでいると、母の方から聞いてきました。
「近藤先生、なんて?」
母の意識はしっかりしていました。
誰よりも冷静に、病気の進行を受け止めていました。
隠し通せるとは思えませんでした。

「入院して手術したけど、あれは適切な対応だって言ってた。
残りの時間が決まっていたのだから、ギリギリまで病院行かなかったのは正解だったって。
がんには、治るがんと治らないがんがあるんだって。
お母さんのは、治らないがんだそうだ。
だから私たちでがんばって、先生にもすべての痛み止めやってもらって、大往生させたる。
ごめん、それしかできん」

これを聞いた母。
「それ聞いて安心した。近藤先生がそう言ったんだね。
今まで最適な方法をとってたんやね。それなら悔いはない。
家に帰ってきて良かった。ありがとう」

 

このとき嘘をついた方が良かったのでしょうか。
先生、治るって言ってるよと。

まっすぐにしっかりとした視線で尋ねる母に、それはできませんでした。
事実を伝えた上で、それを上回る私たちの愛情で安心させよう、
そう思いました。

 

 

終末医療に向き合うとき

(2018.12追記)

 

医療のあらゆる情報をかき集めて相談してそれでも方法がないとわかったとき。

家族の落胆は計り知れません。

それでも最後まであきらめずに、私たちは現代医療ではなく民間医療にもすがってなんとかしようと試みました。

(次の投稿にまとめてあります)

 

現実を認めたくなかったのです。

「がん患者の終末ケアはそんなに長くない。残り少ない時間を大事にしよう」

この覚悟が最後までできなかったように思います。

 

すべてが終わった今、思うことは、自分たちがしてあげたいことをやってあげるのはもちろんですが、本人がしたいと思うことはどんなささやかなことでもすべて叶えてあげるべきだったということです。

 

「末期がんだけど家に戻ったら奇跡的な回復」という展開を期待していたのですが・・・

 

ネガティブなことを考えると良くないと思って、治る治る!と信じ続けていたのですが、タイムリミットを自覚するのは果たしてネガティブなことだろうか?

数年たった今でも自問自答しています。

 

残り時間が少ないと自覚していれば、

 

もっと母のわがままを聞いてあげられた。

もっと話せた。

もっと感謝の気持ちを伝えられた。

 

そんな後悔が、いまだに残っています。

 

 

それぞれの家族にそれぞれの思いがあることと思いますが、

もし在宅で最後を看取るとなったなら、治るかもしれない未来への希望は持ちつつ、

あとわずかかもしれない時間を少しでも幸せなものにしてあげてください。

一生懸命に治る道を探して努力する家族の姿、母は嬉しいと思ってくれたと思うのですが、

介護に疲れイライラして感情をぶつけ合うのは望んでいなかったはず。

 

それよりも、懐かしい話をしながら、感謝の気持ちや今まで言えなかったことをすべて話しておけばよかったです。

 

私たちの反省が、同様の状況の方のご参考になれば幸いです。

 

 

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